シン・ゴジラ公式サイトのティザービジュアルより |
個人的な「シン・ゴジラ」の感想
これはもう他の他の人からも散々出てますが、庵野秀明ワールド全開な作品で、新世紀エヴァンゲリオンがど真ん中な世代の私としては、隅から隅まで楽しめる作品でした。舞台を現代に移して、そのまんまエヴァの世界観を再現してみせた、という印象でしょうか。上陸したゴジラを迎え撃つ自衛隊は、ほぼそのまま、第三使徒サキエルを迎え撃つ国連軍だし、尾頭ヒロミとカヨコ・アン・パタースンの性格は、ほぼそのまま、綾波レイと惣流・アスカ・ラングレーの性格だし。そして、ディティールにこだわりすぎてどう考えても詰め込みすぎな圧倒的な情報量。エヴァを語るときに、衒学的と言うキーワードが良く引き合いに出されますが、今回はそれを会議体だったり組織だったり兵装だったりと現実世界で圧倒的なリアリティを出すための方法として使っている点で、噛めば噛むほど味わいが出てきて、何度も楽しめていいですね。そして、日本人は組織の力で困難に打ち勝つんだという、組織で働く全ての人を胸熱にしてくれる強力なメッセージ。ここ数年でみた映画の中で、確実に一番面白かったです。
読み応えのあった「シン・ゴジラ」の評論や考察ベスト3
そして、いい作品は、色んな人が独自の解釈で解説してくれるのを見て楽しむと、まさに一粒で二度でも三度でも美味しい楽しみ方ができるわけですが、私が個人的にこれは…、と思ったものを3つ上げておきます。
第3位: 蒲田くんの足跡をたどる聖地巡礼記
大田区生まれのオレが写真でたどる『シン・ゴジラ』第一次上陸ルート(タバ作戦もあるよ) | 超音速備忘録
多摩川河口で姿を現し、呑川を遡上して、蒲田駅へと向かうゴジラ(通称:蒲田くん)の足跡を辿ったブログです。やっぱり聖地巡礼は楽しいですよね。そして何より、行間から伝わってくる蒲田に対する地元愛。
第二形態ゴジラ(通称蒲田くん) |
実は私も過去に2年ほど、糀谷にある子安八幡神社の近くが勤務地だったことがあり、京急蒲田から呑川沿いを片道15分ほど掛けて歩くのが日課だったので、蒲田くんに破壊された呑川沿いのエリアは、とても思い出の深い場所だったりするのです。
特にブログの中の、
- ここをアイツが……と思うとただの川も意味ありげに見えてくるから映画はすばらしい。
- 川から溢れたボートがガッシャンガッシャン打ち上げられていたシーンはここ。じつは建物が立ち並んでいて劇中のようなことにはならなそう。CGってすごい!
- 遡って行くと、京急蒲田駅が見えてきました。要塞のようです。しかしまあ、まだ小さいゴジラ氏なので下をくぐるのは可能っぽいです。
ってキャプションの貼ってあるあたりの写真は、懐かしすぎて涙が出そうです。時間ができたらまた散歩に行ってみよう、というほっこりした気分にさせてくれる聖地巡礼記でした。
第2位: 音楽の側面からのマニアすぎる考察
音楽から読み解く「シン・ゴジラ」の凄み | 小室敬幸氏のnote
評論や考察って、基本的にはストーリー展開など物語の画面に写っている何かをきっかけにするものとばかり思っていたのですが、この考察は、シン・ゴジラの劇中で効果的に使われている音楽に焦点をあてて話が進んでいきます。
そしてその考察が、普通の人は絶対に気付かないであろうオリジナル音源との0.15秒の空白の違いに始まり、伊福部昭氏と鷺巣詩郎氏を中心としたゴジラの音楽に関する、分かる人にしか分からないディープな考察を、譜面なども例示しながら普段そんなことは全然気にしない(気にならない)人にもとてもわかりやすく考察してくれてます。
目からの情報があれだけ多い中で、耳からの情報にこれだけ気を向けられるのはすごいことですし、何より今作は特撮映画という性質上どちらかと言うと特技監督の樋口真嗣氏に注目が行くのは仕方ない中、ここまで音楽の鷺巣詩郎氏に焦点をあてた話ができるのは、他人事ながら何か嬉しい。
(DECISIVE BATTLE がシン・ゴジラでも効果的に使われていたのは、エヴァのファンならずともにやっとしてしまうほど嬉しいですよね。)
総監督の庵野秀明氏や特技監督の樋口真嗣氏はもちろんですが、音楽の鷺巣詩郎氏も撮影の山田康介氏も照明の川邊隆之氏も、みんなシン・ゴジラという珠玉の傑作を生み出すために、頑張ってたんですよ。今後も、こういった裏方さんに焦点をあてた考察は増えていくと嬉しいですよね。照明とか、どんな仕事してるのかって、その業界の人じゃないと全くわからないですからね。知らない世界を、こういった興味のある作品をきっかけに知れるのは、なんとも得した気分になりますね。
第1位: 村上龍氏から庵野秀明氏へと続く文学的な系譜を震災後文学の視点で辿る考察
村上龍最良の後継者であり震災後文学の最高傑作としての『シン・ゴジラ』 | 飯田一史
正直、読んでいくなかで一番面白かったシン・ゴジラの評論であり、文学的な考察として私の文学遍歴と照らしてど真ん中ストレートに言いたいことを言ってくれてて、なおかつ知らなかった部分を埋めてくれてこれだけでもしばらく楽しめる内容になってます。
"庵野秀明監督の最新作『シン・ゴジラ』は村上龍以上に、2000年代以降の村上龍の問題意識を体現した作品だった。そして描かれるべき「震災後文学」をついに世に投じた作品でもあった。"
という書き出しに始まり、この部分だけでも十分な読み応えの村上龍氏の分析を経て、震災後文学という文学の流れを論じるという、相当読み応えのあるエントリーで、一時間くらいずっと読んでました。
実は私も、エヴァを見る→トウジとケンスケの名前が『愛と幻想のファシズム』が元であると知る→村上龍氏の作品の文学を片っ端から読みふける、というお約束のコースをたどっていて、同じ時期に村上春樹氏の作品も一通り読みましたが、今以って村上龍氏の作品が好きだなぁと思うのです。(ちなみに、映画になった作品では、2004年に宮藤官九郎氏の脚本で映画化された「69 sixty nine」が印象に残ってます。)
実は、震災後文学というジャンルがあるということは初めて知ったのですが、「希望」というキーワードで、今回のシン・ゴジラがそれを見た日本人の心に何をもたらしたかということを見事に説明しています。そりゃ、そうと自覚しているかどうかに関わらず、感じるものは当然あるわけで、これだけの大ヒット作品になるわけです。
"村上龍はずっと「希望」にこだわってきたが、3・11以降には「どこを探しても希望のかけらもない」(『ラストワルツ』)などと書き、小説では「希望」を示しきれていない。"
"テロリストではなく、彼が「カンブリア宮殿」で接しているような、組織のリーダーたちを描くことこそが、震災後の2010年代日本という状況では必要だった。だが、彼は書かなかった。"
"庵野秀明は、村上龍本人よりも大きなスケールで、明確に、正しく村上龍的なモチーフを、本人以上にやり抜いた。3・11の重要な本丸であったがしかし純文学の作家たちは誰ひとりまともに切り込むことのできなかったことをやりきった。国の未来を示し、意思決定とネゴにまみれながらも実行しきること――政治を描き切った。『シン・ゴジラ』の主役たちには被害者根性がない。ほとんどすべての震災後文学が「現実に対する後退戦」でしかなかったのと対照的に、『シン・ゴジラ』は「現実を乗り越えて、仕掛けていく」。"
まさに、これこそ庵野秀明氏が「現実(日本) vs 虚構(ゴジラ)」と言うキャッチコピーに込めた想いを、文学的な視点から分析している論評は間違いなく他にないです。作品そのものが面白すぎたので仕方ないし、いわゆる小説などの純文学的な世界と映像作品としての映画の世界を同じ土俵で評論する人があまりいないのも仕方のないことととは言え、シン・ゴジラは文学的な視点からももっと論じられていい作品であることは間違いないですね。そもそも、初代ゴジラも、「核の落とし子」「人間が生み出した恐怖の象徴」として描かれ、戦後文学のコンテクストでも高い評価を受けた作品なので、シン・ゴジラの真の評価も、今後はもっと文学的な視点から評価されそうですね。
まとめ
というわけで、個人的に面白かった評論や考察をまとめてみたのですが、書いてて改めて思ったのは、日本人って、地震や台風、大雨など起きてしまったことに対して、どうそれを無くしたり避けたりするか(=劇中でいうところの米国主体で国連安保理決議としてまとめられたゴジラに対する熱核攻撃)と考えるよりも、それを常にそばにあるものとして、どう付き合っていくか(=血液凝固剤を経口投与することにより活動停止させる矢口プランことヤシオリ作戦)を考えるところにメンタリティーの本質があるんだなぁと改めてしみじみ思いました。そして、それと同じメンタリティで、ゴジラに対応する日本人。改めてそんなすごいことに気づかせてくれたシン・ゴジラに、乾杯です。やー、映画って、本当に素晴らしいものですね。
まだ見てない方は、絶対楽しめると思うので、ぜひご覧ください。
ちなみに、このシン・ゴジラには語り尽くせない小ネタが散りばめられてますが、そのへんは、#細かすぎて伝わらないシン・ゴジラの好きなところ選手権でお楽しみください。ちなみに、読み始めると終わらないので、時間がない人はこちらのまとめをどうぞ。